第47回:砂子塾長の熱血ドラテク持論

いまだにうっかり「十勝」と呼んでしまう富士24時間レース。

今年で復活後3回目を向かえた。

1967年に開催された富士24時間は、ルマン、デイトナに続く世界で3番目となる24時間だったのだ。

当然、当時のレイアウトは30度バンクのハイスピード6kmコース。勝者のトヨタ2000GTは537周でチェッカーを受けた。

ちなみにオールドライだった昨年のトップである日産GT3GTRは801周。マシンも違い過ぎるが、このLap数差異は興味深い。

6月開催から延々と延期され、9月の開催となった2020。

サーキット入りするとドライバーは粛々と自分のクルマの寝床作りを始める。いかに快適に休息や仮眠がとれるかが、24時間を戦う上で重要なファクターだ。

我がチームは助っ人に「世界の荒」こと荒くんと入国できない元BMWワークス、ヨルグ・ミューラーに変わって日本在住、スーパーGTお馴染みの「暴れん坊」笑!JPオリベイラを加入しゴージャスメンバーで望んだ24時間。

JPは「やらかす」イメージを持つファンも多いのでは?笑

確かにテスト中は毎ラップ4脱、タイミングモニターには#20トラックリミットが延々と表示されている。無線でエンジニアが言うと「OK!!!」と元気な声が返ってくるがまた4脱!笑。

ところがレースは完璧だった。ミスなく、速さも見せ付けた。JPのイメージはガラリとオレもチームも変わった。

「Good Job!!!」

給油作業、タイヤ交換、そして5名のドライバーもミスを犯すことなくトップマシンよりも雨、ドライと走ったのだがSCタイミングがとにかく悪すぎた。SCのたびにラップダウン・・・涙

いつも思うのが、我々「現場」とオーガナイズとの判断ギャップ。バケツをひっくり返す雨で「これヤバいよ!SC入れないと!」の瞬間にはSCは出ず、その後時間をおいて赤旗、そして赤旗中に雨は止み・・・「なんで再開しないの?・・・」

そして4時間以上とめた再開時にドシャ降りの中、再スタート・・・。どうも我々の思いと噛み合わないのだ。

SCでは運・不運が大きく出てしまうからFCYを導入しているのに、どうもその判断基準が不明である。

ま、「運」も24時間では大きな勝つ為のファクター。平均年齢48.6歳のオジサンチームより女神は若いドライバー達がお好きだったの
か?笑

夜の雨。久しぶりにシビレた。雨量が増えれば当たり前の視界不良。大粒の雨がフロントウィンドウに叩きつけると、2コーナーや300Rの路面は極端に見えづらい。

その瞬間ハイドロが起きて、クルマ1台分横に瞬間移動だ。勿論、カウンターステアを当てながら。

TVCや砂子塾でいつも言う「タイヤを感じるという事」の重要性。見えづらい路面であれば尚のこと、今現在のグリップから次のコーナーを常に想像し確かめる。

夜の雨は延々とそれを繰り返すのだ。夜が明けると、それまでの緊張感は和らぎ、無事朝をむかえられた喜びと安堵感・・・。

まさに24時間を経験するドライバーの醍醐味であろう。

夜が明けると最終コーナーのかなたに綺麗な虹が・・・。いやと言うほど降った雨、記憶に残る24時間となった。

そして迎えたチェッカーフラッグ。優勝なら疲れなど吹き飛ぶのだが2位は・・・どっと疲れるわ 笑

歓喜の表彰台のはずが、ゴール後、1時間を経過しても始まらない。コロナ対策らしくポディウムが密にならないようとの配慮なのだが、1時間もピット裏で待たされるとは・・・汗

無事、表彰式を終え、着替え、小腹もすいたので、軽い食事、そしてチーム関係者や応援団とひと時の会話。「いや~あの時ね~」なんぞ会話は盛り上がり、そして身支度を終えクルマでパドックを出ようとすると聞こえてきた。「それでは4クラスの表彰を始めます!」

我々ST-Zクラスは2番目に表彰を終えたのだが・・・笑汗

これ!どーにかならんかね!笑

 

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