第16回:砂子塾長の熱血ドラテク持論

インストラクターとして、アマチュアからプロまで数多くのドライビングを見てきた砂子塾長の連載コラム。自身の持論をもとに、スキルアップを願う読者にエールを贈る。第16 回目は複雑な心境になる話題だが便利な生活や、クルマ遊びを楽しめることにありがたみを持ちそんな平和な世の中が続くことを、切実に欲してほしいと説く。

楽しさには歴史の陰あり

北朝鮮の核問題。ニュースやワイドショーで盛んに報じられる一方で、国民の危機感は『核』という非現実的なモノに対して薄弱かもしれない。

1962年に起こったキューバ危機。このときは日本国民でさえも「いつ世界が終わっても……」と思ったそうだから、いまのそれ
とは危機感が大違いである。

核の抑止力は、お互いが核を持つことで、一方が先制攻撃を仕掛けたとしても、核の報復があり、結果、お互いが滅亡するであろうという相互確証破壊(略してMAD)のうえに成り立つといわれている。

事実、第二次大戦で、いち早く核の製造を成し得たアメリカの科学者が、その原爆設計図をソ連に流したため、ソ連はわずか数ヶ月で原爆製造に成功し、敵対する国同士の相互確証破壊が産まれ、冷戦に至ったといわれている。こういった狂気が平和バランスを保つというのは、さらなる狂気であろう。

唯一の被爆国である日本も何だかんだで、核保有条約や核不拡散条約に未だ賛成しない。核がなくなる日は遠い先なのか、それとも永遠に来ないのか?

核兵器・軍需産業の進歩の歴史は我々の日常にも大きな変化を生み出している。核分裂を土台とした原発はなぜか、いまでも日本は海外に輸出したがる逸品(?)。

誰もが使うスマートフォン。携帯電話も元は軍事用無線機から派生した。インターネットも、それまでの電話回線では、核攻撃で基地が破壊されたら一貫の終わり… だったのを防ぐために、より高速かつ分散した通信網を必要とした背景から生まれた。

面白いところでは腕時計。第一次世界大戦中、それまでの手に持っていた懐中時計では片手になってしまうことから登場した。缶詰は1800年代にナポレオンの遠征に必要ということでつくられた。掃除ロボット・ルンバも、元は地雷探査用だったりする。

挙げればキリがないほど軍需産業・兵器開発の産物ばかり。当たり前だが、国家予算を投じて開発するわけで、その進歩速度は民間の比ではなかろう。

第二次世界大戦で活躍した日本の零式艦上戦闘機(ゼロ戦)に搭載された『栄』エンジンは中島飛行機が開発製造し、その中島飛行機は戦後解体され、富士重工業が現在のスバル、そして富士精密工業がプリンス自動車へと沿革していく。

プリンスの技術が生み出したスカイラインGT-Rには、ゼロ戦の技術が根源にあるのである。同じくドイツ空軍が誇る戦闘機
メッサーシュミットも、後にポルシェの技術へと受け継がれた。

1964年の第2回日本GP。ポルシェvsスカイラインの伝説は、戦後わずか19年の敗戦同盟国同士の戦いでもあった。戦後復興では決して負けなかった日本もことクルマやモータリゼーションでは数十年の遅れを許していたわけだ。

その後に日本初のプロトタイプレーシングカーとしてつくられたプリンスR380。現物を見ているし、日産合併後のR380・2は、実際に数十年のときを経て、オレ自身がイベントでステアリングを握らせてもらったこともある。薄いペラペラのアルミのガソリンタンクを脇に抱え…。そりゃ~、もう戦闘機のそれ。ゼロ戦は同じく軽量化のためにペラペラの外板。対するアメリカのグラマン戦闘機は防備に重量を裂き、その分、大馬力のエンジンを積んでいた。戦後の発展途上のレースシーンを見ると、そんなところにも戦中の名残を垣間見ることができる。

サーキットやテストコースで亡くなられた先人・大先輩たち。いまのクルマの安全には、彼らの重い『命』が関わっている。「危険だからこそ刺激」それもまた、モータースポーツの大事な根源だが、アマチュアの危険リスクはできるだけ排除したい。『楽しく』を大前提に、その『楽しさ』には苦悩の道具発展の歴史があることを憶えておいてほしい。

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