第39回:砂子塾長の熱血ドラテク持論
世界最大の熱帯雨林アマゾン
そして流域面積オーストラリア大陸と同等の705万km2を誇るアマゾン河。
たびたびテレビ番組などでも、偉大なるアマゾンで暮らす原住民の暮らしぶりが取材されている。
人工2千人のテンペ族。市街地からは無縁の生い茂る森林で狩りをして暮らしている。弓矢とスマートフォンを常備。彼らは盛んに行われる森林不法伐採を取り締まる事は出来ないが、不法伐採の様子をGPSやドローンなどを駆使し監視、撮影しSNSにもアップする。
彼らは言う。
「私たちが呼吸できるのは森のおかげです。それを守るべく戦わなければなりません。」
彼らは昔ながらの暮らしを残しつつ我々、先進国民と同じ電子機器を巧みに使いこなす。
文明との出会いは彼らの余暇を促進させた。SNSを見て、スポーツ観戦し、自らもサッカーに興じるのだ。
文明と同じニュアンスだと思うが、レースの世界でもたびたび歴史上の海外からの「黒船来襲」は日本のレースシーンに多大な影響とインパクトを刻んできた。
1964年鈴鹿サーキットの第2回日本GP
スカイラインVSポルシェ904はその後のプリンスR380を作らせる原動力となった。
スカイラインGTの総責任者、故桜井慎一郎氏は言った
「こっちがダックスフントなら向こうはエイだよ・・・。」
1982年、初開催となった富士スピードウェイでのWECJapan。1960年代のグループ6の流れは80年代へのグループCカーへと変化した。
ポルシェワークスはまさに黒船。ロスマンズカラーのポルシェ956の洗礼されたデザインととてつもない速さに日本のメーカーは全く太刀打ちできなかった。この後、同じく日産、トヨタもグループC開発にやっきになるのだ。
1985年インターTEC
1985年から1998年まで当事大人気となったグループA規定のセミ耐久レース。
「Frying Brick・空飛ぶレンガ」の愛称で呼ばれたボルボ240ターボ。見た目は正直、速そうにも見えない!笑 ノーマルカーの240ターボのスペック2.1リッター直4SOHCエンジンで155PS。これを見ても誰も速いとは思わないのだが・・・。
その後のターボ付きのエボリューションモデルがベースとなり、製作されたGr.AマシンはスカイラインRSターボや三菱スタリオンなどの国産勢を全く寄せ付けず、ワンツーフィニッシュ。グループAの歴史のスタート地点となった。
数々の異文化、黒船来襲によって加速してきたレースシーン
現代ではその規定もしっかりグローバル化しているにも関わらずGT3、GT4マシンに見られる世界共通化の波にもやや日本は遅れ気味と言わざるをえない。
来年デビューとなるスープラGT4がどれだけ世界で売れるのか?メルセデスAMGは既に100台以上BMWM4は70台以上が世界にデリバリーされている。
先日、富士で開催されたスーパーGTとドイツDTMとの交流戦。シャーシー共通化など、数年来の着々とした交渉が実り、実現した夢の企画。
その前の10月にホッケンハイムで行われた交流戦ではスーパーGT勢が初めて履くDTM用ワンメイクハンコックタイヤへのアジャストが思うように進まずに苦戦、惨敗を期した。
その後の富士戦ではテスト時間を多く設けたこともあり、見事にスーパーGT勢が活躍しホンダが優勝。ホッケンハイムの雪辱を晴らす結果となった。
異文化の衝撃を江戸末期の黒船に例えて日本ではよく使うフレーズだが、そろそろ日本からの黒船が世界を席捲する時代。東南アジア諸国では日本の「おもてなし」が大ブーム。日本人の細やかな気遣いが世界へと伝わりつつある。
またモノ作りの日本が世界のODAでも活躍する。
日本国内旅行しか経験ない君!来年のやりたい目標を海外旅行!
としよう。異文化に触れ、また日本の良さを再認識する。ひょっとしたらあなた自身が「黒船」になるかもしれないぞ・・・笑
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