福山英朗プロフィール [砂子塾講師]

福山 英朗

GTやツーリングカーレースにおいて数々のチャンピオンを獲得している「ハコ使い」の名手

1977年に地元である鈴鹿サーキットで開かれた鈴鹿シルバーカップ・FL500でデビュー。その後は鈴鹿サーキットを中心に活躍し、1979年には鈴鹿シルバーカップ・FL500のチャンピオン獲得

全日本F3選手権と全日本F3000選手権

1982年には全日本F3選手権にステップアップし、1988年にかけてシリーズ参戦して優勝1回、ポールポジションを2回獲得するなど活躍。また1992年にもスポット参戦している。1990年には全日本F3000選手権にステップアップしTEAM NOJIからスポット参戦し、翌1991年にはシーズン参戦し1992年まで参戦

ル・マン24時間レース

1988年にはル・マン24時間レースに初参戦。1990年にはスパ・フランコルシャン24時間レースに日産自動車のワークスドライバーとして日産・スカイラインGT-Rで参戦し、クラス2位を獲得した。ル・マン24時間レースにはその後もワークスドライバーとして参戦を続け、クラス優勝を含む上位入賞を複数回獲得。

全日本ツーリングカー選手権(グループA)

1992年からグループA ディビジョン1クラスへ参戦。マシンはスカイラインGT-R 長谷見昌弘率いるハセミ・モータースポーツよりエントリー
日産ワークスドライバー長谷見氏のセカンドドライバーとして参戦し見事参戦初年度にチャンピオン獲得。
全日本ツーリングカー選手権の最終年となった1993年には地元鈴鹿、スーパーツーリングカー500Kmレースで優勝

N1耐久(現スーパー耐久シリーズ)

日産ワークスドライバーとしてBCNR33GT-R(N1仕様)開発ドライバーを務める。
R33GT-R N1耐久デビューイヤーはニスモワークスより「LOCTITE スカイライン」参戦。
1996年砂子塾長とのコンビでスーパーN-1耐久シリーズチャンピオンを獲得!(プリンス東京フジツボ GT-R)

NASCAR

1998年と1999年には日本で開催されたNASCARコカ・コーラ500に出場。2002年にはアメリカに渡り、NASCARの最高峰クラスである「ウインストンカップ(現・スプリントカップシリーズ)」にスポット参戦。
2003年にはウインストンカップにキッコーマンからのスポンサーを得てシリーズ参戦し(トラビス・カーター/ フォード・トーラス)、日本人として、またアジア人として初めて同カップの決勝に進出したドライバー、かつシーズン参戦したドライバーとなる。

現在はスーパー耐久シリーズ解説者として多くのメディアに出演中。