砂子塾事務局の歴史〜人生の転機と聞かれたらこの日!

長距離トラック運転手時代

先日、とある国道で元相棒と遭遇。総重量22t超の大型車。

ナンバーを確認すると間違いなく当時乗っていた運送会社のトラックでした。

2011年3月11日、東日本大震災発生時、このクルマで被災地へ飲料の物資を満載して仙台に走った事も。

当時は塾長とも出会う前でレースなど無縁な時代。

生活の為、家族を養うために長距離運転手をしていた頃。家に帰るのは月に4~5日あった程度。

東京〜北九州間往復の運行などやっていた時代。

往路の荷はドラム缶を手積み(200Kg×60本)し復路は新米30Kgの米袋を400袋を手積みして1,000km以上走る。

東京で新米の手降ろしを終えて帰宅する間もなく、某メーカーで満載にして兵庫県高砂市まで夜通し走るのが日常。

身体、特に腰がボロボロで運転が大好きな自分もこの頃は運転が嫌いになっていた。

片道1,100kmもちろんドライバーは1人。とにかく睡魔と到着時間必着との闘いでした。

転機は2015年7月23日

そして13年後の2024年夏。

いまこうしてサーキットで働ける環境に恵まれ、本業として携われている事がどれだけありがたい事かと。

ましてやレースに復帰するなんて全く描けてなった。

因みに21歳でレースをはじめ25歳でレースを辞めました。

辞めた理由は単純明快でお金も運転センスも無いから諦めたと情けない理由です…(汗)

転機は2015年7月23日(自身SNSに記載で確認)東京バーチャルサーキットで砂子塾長と出会います。

砂子さんと言えば現役当時は色白の方と認識していましたが、真っ黒に日焼けしてて…

怖そうなイメージがここから始まったと認識しています。

TVCに毎週通い練習漬けの日々

そしてこの日にsim(シミュレーター)を体験し『これはスゲェ!』となり、毎週通って練習漬けの日々に。

運転は下手でしたが【目標が出来て人生にメリハリが付いた】感覚。

仕事だけしている生活で特に目標も無い自分が『再チャレンジして速くなりたい』へと変化します。

この時はレースに出る予定もお金も有りませんでしたが3年間継続。

TVCの練習費用も無いので仕事を掛け持ちして睡眠時間3時間生活とかやってましたね。

いつも塾長から言われたアドバイスは、アクセル早踏み、フロント荷重不足、早く寝ろの3つ(笑)

当時40歳にしてレース復帰

練習を続け2018年、とあるチームから塾長に「誰かドライバー居たら紹介してほしい」とオファーがあり

たまたま練習だけしているがレースに出る予定もない僕を紹介してもらえたのがきっかけでレースに出れる事に。

塾長からの条件は1つだけ。

優勝しなかったら即交代。つまり戦力外通告。

そして当時40歳にしてレース復帰し初戦は予選ぶっつけ本番でボロボロ。決勝は大雨で中止に。

このままだと戦力外通告の通達が出てしまうと焦っていたのを覚えています。

続くRd.2筑波サーキットで何とか優勝して今日に至るんです。その時も雨のレースでしたね。

練習すれば必ず上手くなり速くなれます

砂子塾広場トレーニングの座学で僕がいつも言う言葉があります。

参加されている方は聞き覚えがあると思いますが

『練習すれば必ず上手くなり速くなれます』と。

これは耳馴染みの良いフレーズを皆さんに言っているのでは無く、

自分自身が諦めずに塾長のインストラクションを信じ継続した実体験だからです。

塾長が呆れるほど僕はドライビングセンスは有りません(苦笑)

人一倍練習しただけです。なので誰でも速くなれるんです!

好きこそ物の上手なれ!

砂子塾で楽しく練習してスポーツドライビングを一緒に楽しみましょう!