第68回:砂子塾長の熱血ドラテク理論 「F1の衝撃」
*この記事は2023年に雑誌Revspeedのコラムで掲載された記事です。
1987年10月27日、深夜。
目黒通り沿いのガソリンスタンドの営業を終えた俺たちは、先輩から借りた
キャラバンに4人が乗り込み。一路鈴鹿サーキットを目指した。
1977年富士以来となるF1日本GP。
「フジテレビジョン日本グランプリ」が開催された。
この年、日本人として初のフルタイムF1ドライバー中嶋悟さんが誕生し、
フジテレビが全戦中継。空前のF1ブームが訪れていた。
ロータスホンダにアイルトン・セナと組んだ中嶋さん、ウィリアムズホンダに
マンセルとネルソン・ピケ。フェラーリにはベルガー、アルボレート。
マクラーレンにアラン・プロストとステファン。ヨハンソン!
っと、スーパースターの役者揃い。

自身初となる鈴鹿へ期待値MAXで高速の車内はクルマ、レース、
そしてフォーミュラワン談義で会話はエンドレスである。
この2年前に20歳で富士フレッシュマンレースにデビューしたものの
鳴かず飛ばずの俺。一緒の他3人の峠仲間の中ではダントツに先を行くものの、
漠然とこのままでレーサーとしてメシが食えるのか・・・っと不安だらけの頃
でもあった。
「とにかくこの目で見たい。」
ガススタのバイトを4日間休んででも絶対に「生」で見たかった。

朝方に鈴鹿サーキットの西コース駐車場へと到着し、仮眠をとった。
興奮状態の若者4人は寝れるはずもなくコースサイドをウロウロ歩き回る。
ヘヤピン、まっちゃん、スプーン・・・。
「ここ鈴鹿だぜ・・・。」
ようやく朝を迎える。
F1のエンジンウォームアップが遥か西のスプーンのアウト側に身構える我々の
耳にもその「音」は届いた。
「いよいよ始まる・・・」
フリー走行開始。
今でも鮮明に覚えている。空気を引裂くNAの響き!
真っ先にスプーンに飛び込んで来たのはレイトンハウスジャッドのイバン・カぺリ!
「やべぇ~~~~~~~~~~!!!」
「かっけぇ~~~~~~~~~!!!」
開いた口が塞がらない。笑
次々とテレビで見たマシンとドライバー達
セナ、ベルガー、マンセル、ピケ、プロスト・・・そして中嶋さん!
そりゃ、もう大興奮である。
それから4日間、毎日近所の銭湯で汗を流してキャラバンで寝た。
予選でのマンセルのクラッシュ。そして決勝はフェラーリ・ベルガーの独走だった。
遥か36年前の想い出である。この時、まさか翌年にこの舞台のサポートイベント
であるF3のレースに出るなんて1mmも想像できなかった・・・。
ガソリンスタンドのバイトに明け暮れ、夜は峠。
土日は不動産会社社長ご子息のカートのメカニックをしていた俺。
カート場から帰ると地下ガレージでエンジンをバラシて綺麗に掃除し、また組み上げる。
作業が終わると、その日のご子息のカートの報告がてら社長の晩酌のお供をした。
時はバブル。
「実はねレーシングカーを買ったんだよ・・・。」
「砂子くん、乗ってみるか?」
翌年の1988年DR30でJSS(ジャパン・スーパースポーツセダンレース)シリーズに。

1988年 JSSレース ど紫のマシンDR30が俺 左は都平さん!
そして88年後半には全日本F3選手権に出場できた。
そして10月30日、鈴鹿F1の舞台に・・・。
僅かな記憶だが、接触リタイヤだった気がする。
初のスプーンで見たF1を鮮明に覚えていて、自身の初F3鈴鹿を覚えてないのも
妙~な話だ。
あの鈴鹿から36年が経過。俺は58歳になっていた。
9月23.24日、鈴鹿F1GPのサポートイベント。BMW M2CSRacing、エキシビジョンBMRレース
に出場しまーっす!!!笑 勿論、BMWTeamStudieからね。
エキシビジョンとはいえ久しぶりのガチレース!普段は塾生も多く出場していて、毎戦コーチングで
現場にいるのだが、自身が出るはめになるとは・・・。
ま、最高峰のお祭りやし、塾生とのランデブーを楽しむもよし!
レースのお手本をしっかり見せつけるもよし。
この本が発売される日にはレースは終わっている。

で、こうなるわけだ。笑 F1のポディウムに上がれる機会はそうそうないって!

とんと見る機会が減ってしまったF1。可夢偉くんが走っていたころまでは見ていたのだが、
日本人F1ドライバーがいなくなると見なくなってしまった。
さてさてどうなる鈴鹿F1。
静かな1.6ℓ、V6パワーユニットは36年後の俺の目にどう映るのだろうか・・・。
