第64回:砂子塾長の熱血ドラテク持論

※ この記事は2023年にRevspeedコラムで掲載された記事です。


メッシの驚異的な年収とスーパーカーコレクション

2022年の12月は、サッカーWカップのせいで日本中が寝不足となった。日本代表の活躍はこの十数年の日本サッカーの実力の上げっぷりを見事に魅せてくれた。

決勝のアルゼンチンVSフランスも世界トップクラスの見応えであった。説明不要の世界的スーパースター、リオネル・メッシの一挙一動に惚れ惚れさせてもらった。そのメッシの年収は155億円とも言われている。

「おいおい!もう稼がなくてよくね?」である。って事は・・・。クルマも・・・はい!その通りでした。

アウディR8、マセラッティGTS、フェラーリ、メルセデスSLS、そして2億7千万円のパガー二ゾンダ、もう何台あるか分かってないよね・・・。そしてメッシの保有するクルマの最高額が1957年製フェラーリ335Sスパイダー・スカリエッティだそうでお値段なんと3200万ユーロ!日本円で42億円!。

これオークションで落札したそうで、その落札者のライバルがあのクリスティアーノ・ロナウドだ!っちゅーからもう唖然です。サッカー界の生きるレジェンド2人のオークションは世界で話題となったそう。

 

幼なじみとの純愛を貫いたメッシの素顔

それだけ多くのクルマを所有するって浮気性やろ・・・そりゃ、きっと女も・・・と、考える俺!いや、一般市民よ!よく聞け!笑

これがなんとメッシの奥様は幼な馴染みだそうでメッシ7歳、奥様のアントネラさん6歳で出会い、メッシはノートに「アントネラさんといつか結婚する!」と書き綴ったというからガチ一目惚れ。

その後、13歳でスペインに移住したメッシだが2005年に再会。そして有言実行を果たすのだから、スーパー加減はやはり世界一。

 

三苫と田中碧、W杯での“奇跡の幼なじみゴール”

ちょいと、異次元すぎた話しから親近感沸く「三苫の1mm」へと話題を変えよう。このスペイン戦での奇跡ゴール。三苫からのギリギリ小さなセンタリングをゴールへ押し込んだのが田中碧選手。三苫選手のこれまた幼馴染みだったって奇跡やーん!ゴール後、抱き合って喜ぶ2人「絶対やると思ってたよ!」この言葉が本音でグッと刺さった。この2人、鷺沼小学校で、さぎぬまSCという地元サッカークラブに所属し、ずっと一緒に練習をしてきたわけで、この小学校からプロサッカー選手が2人でるだけでも凄いのに、さらにW杯で、しかも2人でゴール決めるなんて!さぎぬまSCにはあの試合後に恐ろしいまでの問い合わせ電話が鳴り響いたそう。

 

レース界の幼なじみたちと“吉野郡の謎”

ここまで幼馴染み話しが続いたがレース業界は?

さて、本題です。90年代に活躍した西垣内正義選手をご存知だろうか?なんて読むの?西垣内=にしがいとと読みます。

「雨の西垣内」と言えば当時の業界で知らぬものはいなかった。それだけ雨で速かった。91年のF3000富士、それも土砂降りのフリーセッションで2番手を3秒以上離してトップタイムだったが1コーナー手前で星野選手に全開でオカマをほってしまうアクシデントでF3000のシートを失ってしまった。

しかし、その雨の速さは誰もが認める異常さだったのだ。その西垣内選手と幼馴染みだったのが、あのラーマンこと山田英ちゃん。笑 2人は奈良県吉野郡大淀町の桜ヶ丘小学校に通う同じ歳だった。西垣内選手は農家の家に育ち、夏になると森でクワガタやカブトムシを獲り、業者へ売っていたそうで、その収益で子供なのにバイクを買って乗り回していたそう。

ただ、前述の三苫話しと大きく違うのは特に仲良くなかったという点だ。その後も2人は同じ大淀中学校にも通う事となる。ラーマンは中学卒業後、ろくに高校にもいかずバイトにあけくれ鈴鹿へと渡り、レース活動をスタートさせた。そして順風にF3のシートを得たあたりで、西垣内選手はラーマンの知り合いのツテでFJ1600を購入。

桜ヶ丘小学校卒業から10年が経過していた・・・。さらに付け加えると、2021年のD1GPシリーズチャンピオンの中村直樹選手もなんと吉野郡の出身らしい。3人とも理論などクソ喰らえの感性派ドライバーという共通点・・・。奈良県の吉野には何かある・・・絶対何かある・・・笑謎


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