第7回:砂子塾長の熱血ドラテク持論

インストラクターとして、アマチュアからプロまで数多くのドライビングを見てきた砂子塾長の連載コラム。自身の持論をもとにスキルアップを願うレブスピード読者にエールを贈る第7 回目は『テクノロジーの進化と人の退化』について。世の中に残されている「不便」を全開で楽しむべし……と説く。もちろん、MT車でのスポーツドライビングはその筆頭に挙げられる。

テクノロジーの進化は人の退化を促す

ゼネコン大手の大林組が宇宙エレベーター建設の構想を発表した。高度約3万6000kmの静止軌道上に宇宙ホテルを備えた静止軌道ステーションを建設。地上からカーボンナノチューブ製のケーブルでつなぎ、200km/hで人や物を1週間で運ぶエレベーター。

何とも壮大過ぎる計画だ。実現構想2050年、総工費10兆円。いまからさかのぼること50年。科学者であり、小説家のアーサー・C・クラークとスタンリー・キューブリックが描いた『2001年宇宙の旅』。1997年に出た続編の『3001年終局の旅』で、じつはこの静止軌道上の宇宙へのエレベーターは描かれている。その「予測」より51年も早く実現する構想というわけだ。

その終局の旅では、他に遺伝子操作されたメイドの猿。高層ビルの屋上で働く恐竜のヴェロキラプトルなどが登場する。笑えるのだか、笑えないのだか…。

人の想像と創造、テクノロジー。たいがい想像したことは実現させてきた人間。クルマの誕生は蒸気機関で動く蒸気自動車で、1769年にフランス陸軍の技術大尉ニコラ=ジョゼフ・キュニョーが製作したキュニョーの砲車であるといわれている。また、意外にもガソリン内燃機関の自動車よりも早く、1777年に電池が、モーターも1823年に発明されている。

考えれば、内燃機関は1885年以来、変わらず続いているのだ。ワイパーも変わらない部品のひとつだ。1903年特許取得したのはメアリー・アンダーソンというアメリカの女性!ゴムの材質こそ進歩してきたが、基本的な構造は100年経ったいまでも変わっていない。

先日、とある大学の教授と話す機会があった。彼は「日進月歩のテクノロジーの進化の中で、クルマはなぜ、こんなにも原始的で面倒な作業を未だしなくてはならないのか?」と疑問を投げ掛ける。ん~、斬新で、しかも考えれば的を射た意見。         

たとえば、飛行機・船舶・鉄道などは遠の昔にオートパイロットが存在し、戦闘機はアイトラッカーで眼球観測し、パイロットのウインクのみで迎撃ロックオンするくらい。

地上という環境はそれほど複雑で、ある意味、一般公道ほど、難しく人の手を借りなければ動かせないのが現状なのだ      

オートパイロットは閉鎖されたサーキットのような空間こそ実現が近い。もちろん、AIによるドライビングは我々、レーシングドライバーのドライビングにはほど遠いもので、適切な荷重移動などは、人の動作としてはコンピュータでもなかなか真似できない、優れた「技」なのだ。

未だにNASAアメリカ航空宇宙局からの発注部品を、大田区の小さな町工場で、職人がPCなど使わずに手づくりで製作している。まさに「人」恐るべし。

その一方で、テクノロジーは人を退化させる。ナビゲーションシステムは多くの人が地図を読めなくし、東西南北さえも知る必要を奪った。オートマ化やレースカーのパドル化はスーパー耐久などの現場で若いフォーミュラ上がりのドライバーをヒール&トーで苦労させる。そもそもATはMT操作を簡素化し、その余計な操作が要らない分を安全に振り分けられるものであるべきだが、実際にはATのほうが事故率は遥かに高い。

誰もが簡単にできるようにテクノロジーは進化する。いままでは特殊訓練を受けた優秀なパイロットの目だけに映った青く丸い地球。2050年には本当に誰もが(いや、富裕層のみだろうか…)ガガーリンの台詞「地球は青かった」をつぶやけるのだろうか?

そのとき、クルマや交通社会、そして、ドライビングはどのようになっているのだろうか? テクノロジーの進化と人の退化。クルマに乗り込むと網膜スキャン、もしくは音声認識でインジケーターランプが点灯し、グーグルが立ち上がる。 「家帰る」のひと言で、シートベルト(?)が自動で締まり、そのモビリティ(クルマという呼称はないかも?)はスルスルと音もなく動き出す。コンソールにはよく冷えたシャンパンが…。

そんな未来を、退化した人間はありがたく受け入れるのだろうか?見てはみたいものだが、そこまで長生きできるかな?(汗)

 

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