第5回:砂子塾長の熱血ドラテク持論

インストラクターとして、アマチュアからプロまで数多くのドライビングを見てきた砂子塾長の連載コラム自身の持論をもとにスキルアップを願うレブスピード読者にエールを贈る第5 回目は『アタック1 周目からプロが速い理由』について過去の認識から生み出す『結晶性知能』による操作それに長けているのだできるだけ少ない周回でベストに近いタイムが出せるよう意識して経験を積む。それが大切と説く

アタック1周目からプロが速い理由

1968年に公開されたフランクリン・J・シャフナー監督作品『猿の惑星』。1年6ヶ月の宇宙探索で見つけた惑星へ不時着。その惑星は猿が人間を支配していた。人は奴隷として猿に拘束され、人は言葉さえも話すことができない。そして、脱走した宇宙飛行士が海岸沿いで見た像は…。

その惑星は2000年後の地球。人間が核戦争によって滅ぼしてしまった『未来の地球』だったのだ…。そんな驚愕のラストシーンで締めくくられる『猿の惑星』。同軸であるはずの『時』が宇宙空間と地球では違っていたというカラクリなのだが、今回のテーマは『時』である。

ワタクシ塾長、これ考えると夜も眠れない(笑)。『いま』『現在』っていつ? 言葉で「いま」の「ま」を発した瞬間に、それはすでに過去であり、現在という『時』は止まることなく流れていく。

さて、人は『過去の経験』で『いま』を生きる。「もうやるものか!」と、思ったお酒での失態は、喉元過ぎれば熱さを忘れ…またも失態を繰り返す(汗)。恋愛観、仕事上の知識・見識、そして、その人の人格形成はすべて過去によってつくられたモノだ。     

サーキットでコースインしての1ラップ目。これこそが過去の見識から生み出す『結晶性知能』による操作だ。この見識・知識ありきの結晶性知能が一般公道での事故を防いでくれる。免許証取り立ての10代はその経験の少なさから事故予知含めた安全管理で劣っていても不思議ではない。

その結晶性知能が大半を占める、サーキット最初の1ラップ目。「こんな感じ」がそもそもプロフェッショナルドライバーは的を射ていて、ずれていない。サーキットでのコーナーごとの操作はクルマが違っても大差ない。そのタイヤ、そのクルマの「こんなもんであろう」が、過去の記憶から瞬時にはじき出されるのだ。    

2ラップ目からは、すでに過去となった自己操作を記憶し、解析して動作プランを立てていく。いま走っているストレート。それもすでに過去…。ストレートでのエンジン回転を前ラップと比較をしながら、その動作がよかったのか、悪かったのかを解析する。

後ろに置いてきた自己の動作を記憶し、フィードバックさせることに長けているのがプロフェッショナル。曖昧な記憶では、同じミスを犯してしまうわけで、当然といえる。

前述の『猿の惑星』並みともいえる(?)話をしよう。砂子義一(あ、説明すると、ワタクシ塾長の父親で、日本初のプロフェッショナルレーシングドライバー)とは、いまでもイベントなどで一緒になること多いのだが、話題はスカイライン伝説。あの52年前のポルシェ対スカイラインGTで知られる『第2回 日本グランプリ』(鈴鹿で開催)。オヤジはまるで昨日の出来事のように話す。

「あのとき、ダンロップコーナーで生沢のテールを…」

「何ラップ目の2コーナー、誰々が目の前でスピンして…」など、

52年の『時』を越えてなお、鮮明に記憶しているレースシーンと自己操作。

もちろん、ワタクシ自身も人生最大のアクシデント、1998年5月3日の富士スピードウェイでの全日本GT選手権でのクラッシュは、もう20年近くの歳月が流れるけれど、鮮明に詳細を説明できる。

人生において「あのとき、こうすりゃ… オレ… 違った人生だよな~」なんて、そんな四方山話し、それこそタイムパラドックスなど現実には存在しない。

やり直し、巻き戻しは人生には存在しない…。1212年.いまから800年も前の鎌倉時代に鴨長明が随筆した『方丈記』文頭の「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、ひさしくとどまりたる試しなし」にもあるように、古今東西、人は『いま』を生き、止まることなく『時』は流れる。

さて、さぁ~原稿も終わったし、今夜は飲み会だ!おっとっと…、気をつけよう。同じ過ちはNG…。そこはプロフェッショナルになれないワタクシ、フィードバックしなくては(汗)。

 

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